義理を立てる。義理を欠く。義理って・・・


ある出来事がありまして
「義理を立てる」ってことの意味をずっと考えていました

ちょっとだけ説明しますと、半年前、「そこは、わたしに一言あってもよかったのでは?」と思うような場面があったのです

はっきり言うと 義理を欠かれた という気持ち



当時は本人に直接気持ちを伝える勇気もなく
「その人も悪気はなかったんだ」
「立場が違うんだから言ってもしょうがない」
「もうこんなこともないだろうし」
などと、どうにかこうにか、やっとの思いで自分の気持ちをおさめたのですが、最近また同じ人物との関係で同じことが起きたのです

「あぁ またか・・・」と思いました

いいえ、正直に言うと
「またやられた」・・・って思ってしまいました

そんな自分がイヤでイヤで仕方なくて・・・



「一般的に考えたら別に義理を欠いているわけではないのかも・・・」
と感じる自分もいて
「わたしが面倒くさい人間なのか・・・」
と悶々としたり


でも
「やっぱりこれって大事なことだよね・・・」
と思ったり


かと思えば
「わたしも昔誰かに義理を欠いたことがあったかも・・・。だとしたら人のことなんか言える立場じゃない・・・」
と自責の念がこみあげてきたり


落としどころが見つからなくてけっこう苦しかったですね

いろいろな想いのはざまで揺れました。ホントに。





でもね、やっと ひとつの答えが出ました

義理って、立てるとか欠くとか、必要とか不要とか、そういう性質のものじゃなくて、単純に「おもいやり」なんじゃないかな と。


「一言言っておいたら安心するだろうな」
「嬉しいだろうな」
「恥かかせないで済むだろうな」
「その人も、また別の人に対する立場があるかもしれないな」
「心の準備もできるだろうな」・・・・


相手に対するそういう思いやりが「義理」なのかもしれないな と。



そこに気づいたら、わだかまりがスーッと消えました

「これからは まわりの方の気持ちを考えながら 丁寧に進んでみよう」

そんな前向きな気持ちになりました




地球は、さまざまな波動を持つものたちが共に生きる稀有な星です

今回 自分の考えと違う方との関わりを通して、またひとつ 学びを得ることができました

「こんな素晴らしい学びの星で
 これからも多くの方々と出会い
 たくさん気づき もっと成長したい」

あらためてそう思います

御縁とは 本当にありがたいです

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